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部屋でひとりPCに向かっているなう。

Twitterで吐き出しきれないことをこちらに出したりしてます。保育園の待機児童問題など。

「子どもの立場に立って」という言葉が不愉快に聞こえる理由を考えた

子育て関係ネタ

先日、Twitter上でこちらの記事が話題になっていました。

小笠原舞さんという、「子育て支援コミュニティ」(記事内プロフィールより)を
運営している方へのインタビュー形式の記事です。

前編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “女性の権利は語るのに「こどもにとって」は議論しない日本社会

【後編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “一人では変えられない社会も、それぞれが自分事として取り組めばいつかシフトチェンジする

※前後編でひとつのインタビュー形式の記事になっています。

この記事には賛否両論あり、私は否の立場にあります。
「子どもの立場に立って考える」という言葉がどうしても不愉快に
聞こえてしまうからです。
記事を読みながら、その理由について考えてみました。



賛否両論あったと伝える記事へのリンクはこちらです。
ステークホルダーの結集こそが次なるステップ|6,000いいね!「小笠原舞さんインタビュー記事」への反響を振り返る


記事は子を持つ親にとって、決して悪い話ではありません。
「そういうのもひとつの考え方だよね」として受けとめています。


しかしながら、家庭の事情や家庭環境、親の意識に沿って従わざるを得ないのは
子どもにとって動かせない事実です。
えげつない話ですが、親の収入と教育費と子どもの学力が比例するのが
その一例でしょう。
そこを是正しようという動きがありますが、それはまた別の話として。

現状が子どもにとってマイナスと思える面があれば、それを軽減するために
最大限の努力をしている親がほとんどである、ということを
理解していないのだなあと感じるインタビューでした。

待機児童問題で言えば、単純に増やせといってるのではなく、一定の質を
確保した上でという条件の下での主張です。

確かに「保育園を増やせ」という言葉だけが一人歩きしている感は否めないです。
メディアでの取り上げ方もポイントが「増やすか否か」ですし、
それもまったくの間違いではないです。

しかし、どんな新聞記事でもいいので本文をきちんと読めば単に増やせと
言っているわけではないことがわかるでしょう。

だから、待機児童問題をうわべでしか解釈しておらず、単なる持論の補強
(特に後編)をするための記事に読めてしまって、仕方が無かったのですね。

ただしこれは「誤読」だということです。

上記、反響への振り返りの記事(Twitterでの意見まとめ)にこんな記述が
ありました。

また、「よくある “こどもがかわいそう” という話」「持論の補強のためにこどもの気持ちを利用している」という意見は、誤読であり、きちんと読んでいただければ絶対にそのような解釈にはなるはずがないという見解です。また、小笠原舞さんの思いとも全く異なります。メディア運営責任者として明確に否定します。

インタビュー記事はほとんど、小笠原舞さんが発した言葉を
ほぼそのまま記事にしたものでしょうから、解釈や誤読の問題というには
無理があるように思われます。

ちなみに、インタビュー記事について、
読者がこちらの意図や意思とは違う解釈をしているようなことがあれば
インタビュイーの立場を貶め、信用を失うことになってしまいます。
一般的なメディアであれば、記者としての資質を問われる大問題です。

例えば、記事の中で小笠原さんはこんな例を挙げています。

「夫婦が遊びに行くために保育園を利用、(子どもが)涙を見せるケースも」
※カッコ内は当方の補足。

この例示の仕方は本人の意思ではないのでしょうか。
本人でないにしても
「保育の理由が遊びに行くため」という批判と誤解を招きやすい例を挙げていることに
疑問を持たざるを得ません。

また、保育行政と保育現場の立場の違いと解釈しているということですが、
それも違うでしょう。
異論反論を唱えている人は、両方の立場にいる人もあり、そして
子を持つ親が多いということです。

よって、(保育園児の)親と持論を持つ保育士有資格者との意見と
価値観の相違である、というのが正しいのではないかと思うのです。


さて、以前のエントリでこんなものを書いたのですが、

賛否ありすぎるだろう本『「便利な」保育園が奪う本当はもっと大切なもの』 - 部屋でひとりPCに向かっているなう。

この本の著者、長田安司さんと、小笠原舞さんとは使っている言葉こそ違えど
主張が似ているなあと思いました。

外観としての共通点は
・保育士である
・自身の理念のもとで運営している保育園や子ども施設を持っている
というところがあります。

そして精神論を取り上げ、
「子どもの立場にたって」という言葉が出てくる点が似ています。

繰り返しになりますが、親は限られた状況の中で、できるだけ
子どもが良い状態であるようにと常に考えています。

そんな中で「子どもの立場に立って」と言われると
「考えてるに決まってるでしょ」と言いたくなりますし、今そこにある危機
対しての具体論がないままに精神論を述べられては不愉快になるしかないのです。

よって、精神論を主張している相手とは仮に話し合いの場を設けたところで
疲弊するだけのような気がします。

「誤解」であるのなら、もっと「明確に」説明するか、徹底して持論を展開するかの
どちらかにして欲しいと思うばかりです。