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「超歌舞伎」は近い未来の歌舞伎の姿だ

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「超歌舞伎」29日16:00の回(3回目の公演)で観てきましたよ。

chokabuki.jp



以前はけっこう歌舞伎を観ていたけど、子どもが生まれてから
ここ10年くらいほとんど行けず、久しぶりの歌舞伎鑑賞となったけど、
その久しぶりがコレとなってしまって
ものすごいインパクトを受けた。

自由な大向とコメント

この舞台は、観客のほとんどが歌舞伎を初めて見る人という前提で作られていた。
開演前の案内や、獅童さんの口上で大向について説明され、
獅童は「萬屋初音ミクは「初音屋」、そして澤村國矢さんは「紀伊國屋」であるという
紹介があった。

※初日の初回は紀伊國屋の屋号について説明がなく、3回目で獅童さんが口頭で
 加えてました。

会場には大向を心得た人もいたけれど、初めてという人も遠慮なく大向をかけていた。
もちろんリアルタイム視聴をしていたニコニコユーザーも万全な弾幕の準備。

こんなに自由に、こんなにたくさん声をかけられるなんて、歌舞伎役者ですら
初めてではないだろうか。

歌舞伎座で大向をかけている人はグループになっていて、基本は物語の進行を
熟知した上で声をかけている。

私だけかも知れないが、その人たちでなければ大向をかけてはいけないという
暗黙の了解があるように感じていた。

だから、こんなに観客が遠慮なく大向をかけているのを観るのは初めてだ。

そもそも日本人はコメントをつけるのが好きだったのではないか。
それが江戸時代から続く大向であり、現代においては技術の発展でニコニコ動画
コメントという形に現れたのだろうと思う。

歌舞伎座や演舞場などでは、先に挙げた大向のグループの人が声をかけている。
歌舞伎では、役者に確実に声をかけてくれる存在があったほうがいいには
決まっているが、もっと自由に声をかけてもいいはず。

大向のグループについてはいくつも取材されている記事があり、それを見ると
言われていることは

・声をかけるタイミングを勉強すべき
・ヤジや雑音にならないように
・セリフにかぶらないように

といった内容だが、超歌舞伎の大向は、初めての人が多いにも関わらず、
タイミングの悪さは感じなかったし、もちろんヤジや雑音になるような声かけは
なかったと思う。

大向のグループの人たちは、もっと自由に声をかけていいと呼びかけたほうが、
今後の担い手も増えてくるんじゃないだろうか。

そして、ニコニコのコメント。
佐藤四郎兵衛忠信のセリフに「ニコニコユーザーのコメントを得て」という
サービス精神をこめたセリフがあって、歌舞伎鑑賞が初めての人たちは
喜んでたみたいでよかった。

※歌舞伎はこういうふうに、時勢を反映したアドリブがしょっちゅうある。

ネット生中継が当たり前になったら、コメント大向のヘビーユーザーが
間違いなく出てくるね。

映像演出と歌舞伎の相性の良さ

藤間勘十郎さんのモーションキャプチャーで動く初音ミクを見る日が来るなんて
思わなかった。

あのなんとも言えないなめらかな動きは、勘十郎さんでなければできないこと。

そして、佐藤四郎兵衛忠信の分身の術や、忠信が糸で引かれるシーンは
レーザーの光。驚くほど違和感がないし、舞台を華やかにしていた。

歌舞伎の演目の中に、変身やら分身なんてシーンはいくらでも出てくる。
役者の表現力で十分堪能できるけれど、さらに役者の動きを引き立てる
ことができそう。

初心者に優しすぎる親切設計

「佐藤四郎兵衛忠信」は「さとうしろうびょうえただのぶ」と読むのだけど
知らないと「さとうしろべえ」って読んじゃうだろう。

主人公の名前からして古語、セリフも全部古語という古典歌舞伎は
見る者のハードルを高くしてしまう。

超歌舞伎では舞台上のスクリーンに、進行に合わせて場のタイトルと
役者のセリフを全部表示していた。
これで分からない人はいない(たぶん)。


歌舞伎座にも進行を妨げずにセリフや場面を音声解説してくれる
イヤホンガイドや字幕ガイドもあるので(有料)、最初は
これを活用したい。
いずれガイドなしでも鑑賞できるようになる。

イヤホンガイドのガイド音声もとても絶妙で、静かに見たい
ところでは、ちゃんとガイドも無音になるのがすごい。

それでも、スクリーンにセリフが出てくるというのは
ありそうでなかった。

歌舞伎役者としての初音ミク

人間でない女性との共演。
最初は獅童さんも面食らったかもしれない。

セリフの掛け合いがある部分、忠信と美玖姫が舞い踊るシーンなど、
普段とは違う神経を使って練習していたであろうことが伺えた。

セリフの話し方はもちろん、それなりではあったけど
初日と2日目では、2日目のほうが抑揚の付け方がより自然に
なっていたような気がする。
一晩でチューニングをしたのか、こちらが耳慣れたせいなのかは
わからない。

歌舞伎の演目の中には実在しない人物、妖精だったり幽霊だったり
という役柄がたくさんある。
幾人もの役者の中に混じって、初音ミクがいるという光景のある
お芝居があったら面白そう。

勘三郎がいたら演りたがったに違いない」

私の歌舞伎鑑賞歴のほとんどは勘三郎で埋め尽くされている。
そのせいか、彼の早すぎる死には胸をえぐられてしまった。
もちろんほとんどのファンがそんな思いをしている。

この公演を見終わったあと、
勘三郎がいたら、感激してただろうな……」とふと思った。

伝統を守りつつも、新しい形に挑戦してきた勘三郎のことだ、
初音ミクとの共演と聞いて、獅童さんを押しのけて来るんじゃ
ないかとさえ思う。

ツイッターを見ていると、私だけでなく、私以上に長年の
歌舞伎ファンであった人も同じように考えていたようだ。

現在の勘九郎さん、七之助さんたちもきっとこの動画を
見るだろうから、可能なら彼らの感想を聞きたいものだ。

歌舞伎の敷居を高くしたのは誰だ

6月には歌舞伎座で「義経千本桜」、シアターコクーン
獅童さんと勘九郎七之助さんらが出演する
「四谷怪談」が上演される。

超歌舞伎の鑑賞をきっかけに若い人が訪れるかもしれない。

けれど、今の歌舞伎座ではサイリウムを振ることもないし、
あれほど自由な大向は、まずない。

この違いに戸惑って、やっぱり敷居が高いなどと思って
欲しくない。

ワンピースや初音ミクでなければ見ないというのも
問題で、古典歌舞伎にも夢中になれるストーリー物は
たくさんあるということも知ってもらいたい。

歌舞伎役者は、勘三郎さんのように伝統を守りつつ、
新しい形を追求してきている。
その結果のひとつがワンピース歌舞伎であり、
初音ミクとの共演だ。

それなのに「敷居が高い」と感じさせる原因は何なのか。
見る側が勝手に敷居を作ってはいないか。

超歌舞伎でのあの感動をもう一度、と思うなら、
再演を求めるだけでなく、これからの歌舞伎の姿を
観客側も追い求めていくべきなのかもしれない。